音楽のセグリゲーション

音楽にはその性質上、セグリゲーション、住み分けが必要だ。

 

まず音楽には無数のジャンルがある。しかしそれに上下関係はない。どれが優れているとか、どれが高尚だとか。

 

また、音楽には無数の楽しみ方がある。しかし同じくそれに上下関係はない。音楽を家で聞くのが好きな人もいれば、ライブで暴れるのが好きな人もいれば、音楽を聞いて踊るのが好きな人もいる。それに貴賤はない。

 

それらは音楽という一つのあまりにも大きすぎるカテゴリで括られているが、実は別々の趣味だと考えてしまう方が良い。

 

当たり前だが、何百万もするオーディオ機器を揃えて実家でクラシックを聞く人と、ライブの演奏そっちのけで暴れて人を殴り、汗をかく人が音楽に対して同じ熱量、姿勢な訳がないし、それらが混ざり合うと必ず対立は起こる。

 

音楽というのはカジュアルな宗教だからだ。

人は音楽の思想に反映され、人格形成の因果両面から音楽は人を刺激する。

人が音楽を作り、音楽が人を作るのだ。

 

そう考えると、異教徒たちである彼らが同じ屋根の下暮らす必要はないのだ。いつかはどうでもいい事でケンカが起こる。それも無意味な。

 

異教徒は異教徒同士大人しく住み分けをすればいいのだ。上下はない。貴賤はない。

ただ、見下したり、ネタにするのは内輪だけでしろよ、そういう事だ。